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■「マッチミュージアム その2」


マッチ博物館へようこそ!
では展示室へご案内しましょう

The Lundstr brothers
まず始めは、Lundstr brothersの展示です。兄弟は、ジョアン、カールの二人です。
彼らは1884-1885年に、ヨンショーピンのマッチ産業の基礎を造りました。
二人の兄弟は皆が安全に使えるようにするため、また、安価に作れるようにマッチの製造を機械化しました。
スウェーデンの安全マッチは輸出品目となり、ヨンショーピンは世界のマッチ産業の中心となりました。

Lena マッチ産業労働者
沢山の人々がヨンショーピンのマッチ会社に従事していました。Lenaはその中の一人で、女性にとっては、古い時代から女性が表に出るようになる移り変わりの時代に悲しい運命をたどりました。
Lenaは燐による壊疽におかされました。病気は、燐を扱う作業によって引き起こされました。病気におかされたLenaはもはや工場での労働はできなくなってしまいました。

The Lgerman room
Alexander Lagerman
1870年、ヨンショーピンのマッチ工場に雇われた時、とても大きな変化が起りました。ラガーマンは優秀な発明家でした。一階の巨大な機械の設置されたホールでは、彼の機械を研究できるでしょう。その機械は、マッチ製造業に強く貢献しました。

The early industry (The early period of the industry)
マッチ労働者の住居
長屋式居住施設は一部屋と台所からなっており、さらに屋根裏、薪小屋とじゃがいもの貯蔵庫付きでした。多くの家庭は、仕切を作り狭い場所に野菜などを栽培していました。この事から、一戸あたりがとても小さいことがわかります。
マッチ箱は家の中で組立て、糊付けされました。

The labouring hand (Work by hand)
マッチ製造の初期においては、手もしくは簡単な機械によって、全てのマッチが製造されました。労働者は作業部屋に集められ製造に従事しました。最初の機械は簡単なもので手動でした。

The Batchmaster's room
Batch Master Wahlbom
この職長は、マッチの発火部分の構成成分の混合の責任者でした。良質のマッチ製造には、薬品の混合は正確でなければなりませんでした。職長は高額の給料を得ていました。それは、彼の仕事に付きまわる、卓越した混合技術と責任感の結果でした。

Printing office
マッチのラベルは、マッチ会社所有の印刷所で印刷されました。校正刷りは、石版の技術を用いて、手作業でした。
限定品についても、この印刷所で刷られました。時代の変遷につれ、ラベルのデザインはカラフルで進歩的に改善されました。ラベルの絵がだんだん重要になり、多種多彩なラベルデザインが、マッチ販売には欠かせないものとなりました。

展示室の説明は現地英語版のホームページもご覧ください。
ここに記したのはその日本語訳です。

マッチミュージアム URL
MATCH MUSEUM http://www.jonkoping.se/kultur/matchmuseum/engindx.htm

山田 章
2003年03月01日
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